田舎暮らしにあこがれて 東近江への移住計画

41歳、3児の父による東近江への移住計画 もう少し先のことになりますが、着々と準備をしていきます。

たくましいPTAのお母さんたち

こんにちは。

 

昨日は、子どもの小学校のバザーがあり、【おやじの会】に入っている僕も、焼きそばとチョコバナナを子どもたちに販売してきました。

 

そこで、ちょっと驚いたことがあったので、ここに書いておきます。

(大した話じゃなかったらすみません。というか、大した話じゃないです。)

 

バザーも終わりに差し掛かり、僕はチョコバナナで汚れたトレーを家庭科室で洗っていました。

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そして、その近くには、家庭科室でカレーを作っていたお母さんが二人いました。

 

ほとんどカレーは売れたらしく、大きな鍋の中身はほとんどなくなっていたのですが、まだ10人前くらいのカレールーが残っており、僕も、「良かったら洗ってあげようかな。」みたいな雰囲気でいました。

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そうこう考えていたら、お母さんたちは、

 

「冷凍すればいつでも食べられるね。」

 

と言って、それをジップロックに詰め始めました。

 

さすがですね~。

 

僕の頭の中には持って帰る選択肢なんて全然なかったのです。

 

僕はBBQとか、キャンプが好きなのですが、基本帰りの持ち物は少なく。

って感じなので、正直そんなことを考えなかった自分を恥じたのでした。

 

ルーはしっかりと10個ほどに小分けにされていましたね。

 

 

さて、トレーも洗い終わって校庭に出て、

「それじゃあ焼きそばの店もたたみますか!」

なんて言いながら、みんなでワイワイやっていたのですが、

 

 

そこに、エプロンを着た小学6年生くらいの女の子が数名で我々のところへやってきました。

 

手には、トレーに載せられた、先ほどのカレールーが。

 

「いかがですか!?一個百円で~す!」

 

いやぁ、たまげました。

 

子ども使ってまで売るんかい!

 

これって普通のことなんでしょうか、ほんと女性はすごいと思いました。

 

終わり。

セブンイレブンのオーナーになろうかな

 


こんにちは。

 

昨日は久しぶりに、セブンイレブンに努めている友達と二人で飲みました。

 

久しぶりというのも相当で、なんと17年ぶり。僕が20代前半の時以来。

話せば話すほど、当時の思い出が今となっては楽しい思い出として、よみがえりました。

 

さて、友達はずっとセブンイレブンに努めていますが、結構面白い話が聞けたので、私自身とても参考になりました。

 

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最近、セブンイレブンも24時間営業の廃止など、何かと話題になっていますが、要約すると、彼が言うセブンイレブンについて、私が感じたことは、

 

セブンイレブンのオーナーになると、楽ではないが、全然暮らしていける。

特に最初の2年間は大変。

 

〇本部と良好な関係を保っていれば、なにかと力になってくれる。OFCさんとしっかりと話をしていくことが大切。

 

〇純利益を出したいのなら、自分がレジをうつ。

 

〇今は、土地や建物を自分で用意する人はほとんどいない。(平屋のモデルでも4,5000万はかかるので)ただし、土地を持っていて、建築屋さんに知り合いがいて安くできるなら別。その場合、チャージ率が下がるので、その後はかなり楽に。

 

〇現在のセブンイレブンでは、オーナーさんの頑張りで日々の売り上げを上げていくのは困難。多くは外的要因によるところが多い。頑張って利益を上げるには、どれだけ経費を減らすか。

 

〇まだまだ西日本は東日本に比べて販売額が低い。店をやるなら東日本のほうが良い

 

〇自分がお店を出したい地域があれば、本部に話をすると、引退したいオーナーさん、転勤したいオーナーさんの後任にならないかと、話を持ってきてくれることがある。

 

〇まずは、オーナー説明会に参加して、登録をするところから。

 

という感じでしょうか。

もっといろいろと話をしたのですが、酔っぱらっていたせいか、ほかのことは忘れてしまったところも多いかもしれません。

 

ただ、なにかあったら気軽に連絡を。ということだったので、そのようにしたいと思います。

 

やはり持つべきものは友。

 

なんでセブンイレブン、かというと、実は僕は田舎暮らしをしつつ、セブンイレブンもやってみたいというのがありまして。。。

 

完全に田舎に引っ込む。というのではなく、経営などはやっていく。最先端の考え方なども、いつでも手に入れられるのでは。という考えです。

 

先日書いた、20万×3=60万

 

そのうちの一つがセブンイレブンというのも、いいなぁと思っているのです。

 

さっそく、11月のオーナー募集説明会に募集しましたよ!友達にれんらくしとこ!

 

また一歩、目標の実現に向けて進めた気がしています。

 

 

どこかで虫が鳴いています。

今日も渋谷で飲んでいます。

 

電車の音、車の音、若い人がはしゃぐ声、どこかの国の声、いろいろ聞こえてきます。

 

空を見上げると、都会の光に照らされる灰色の雲、ほぼ黒い空。

 

 

でも、思います。

どこかで虫が鳴いていて、ただ、それは僕の耳に入らないだけ。

聞こえる人には聞こえているんだ。

共助とは

自助、共助、公助という言葉が、防災の話題になるとよく出ます。

 

自助とは、「自分の身は自分で守りましょう。」ということで、昔から言われていました。

「空は青い。」という類のもので、昔から言い古されてきた言葉です。

自助の重要性は誰しもがわかっていることです。

 

いつのころからか、大規模な災害が起きるたびに、災害発生時の公の機関の対応(公助)に批判が集まるようになります。救助に来るのが遅い。とか、警報を出すのが遅い。避難所での対応がずさんすぎる。

など。

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こういった風潮が顕れてきたのは、現代の日本を考えると、ちょうど戦後、高度経済成長期ではないでしょうか。(そして今でも続いています。)

 

皆が、物質が豊かな生活にあこがれ、核家族化が進み、地域とのつながりが薄れていった時代。国や企業が主体で、日本経済を引っ張っていった時代。

 

そんな中で、私たちは、自分の身は自分で守るのは当然だけど、それでもどうしようもなかったら、市が、県が、国が、何とかしてくれるのではないか。。。

 

という意識になっていたのではないでしょうか。

 

 

私たちは知っておかないといけません。それは、公助には限界があるということです。正直、防災というのは、厄介な行政だと思います。

 

特に、経済発展を第一に考えたり、費用対効果を重要視する行政、政治家などからは、面白くないんだと思います。

 

例えば、毎年購入する必要がある備蓄品だって、賞味期限・消費期限がありますから、使わなかったら、廃棄したり、期限前にどこかに配ったりする必要があります。

「で、それにいくらかけてるの?」

って思われるのは、仕方のないところです。 

 

もちろん、

 「だって、何かあるかもしれないでしょ!その時に想定外なんて言えますか!?」

 

と言えばよいのですが、実際に準備を怠っていたら、何かあった場合、相当叩かれることが予測されます。

 

また、覚えておかないといけないのは、災害時に活動する公の機関の方でも、全ての人がプロというわけではありません。また、災害は通常頻繁には発生しないため、経験を十分積んでいる人はそれほど多くないのです。

 

そして何より、公の機関の人も、被災者の一人であることを忘れないでほしいと思います。

 

最近は、阪神淡路大震災で救助された方の約8割が、家族や近隣の住民により救出たことや、当時の状況を知る人から、消防隊や警察など公の機関の力では、どうしようもないことが知らされるようになったことで、共助の重要性が再認識されてきました。

  

共助というのは、簡単に言うと、お隣さんどうし、ご近所どうしで助け合いましょう。ということです。

 

実はこれも、大昔から言われてきたことです。

 

共助という言葉自体は使われ始めたのが江戸時代なんて文献もあるようですが、もっとずっと前からやっていたはずですよね。 

 

なぜなら、公の機関なんて大昔にはなかったはずですし、あったとしても、農村などには影響がほとんどなかったと思われるからです。自分で自分を助けられなかったら誰かに助けてもらうしかない。それは共助しかなかったわけです。

 

 

 

長くなってしまいましたが、共助の大切さが再認識されている昨今、改めて町会や自治会の重要性も見直されています。

 

次の土日にも、どこかの広場や小学校で、地域の防災訓練が行われているかもしれません。一度覗いてみるのもよいのではないでしょうか。

 

そして、そう。まずは自分の身は自分で守ることを忘れずに。

渋谷大学を発見

こんばんは

 

僕が住んでいる渋谷区には、特定非営利活動法人シブヤ大学というNPOがあり、そこが、いろいろな教育が受けられる活動をしています。

 

やはり、ブログを始めてからいろいろアンテナを伸ばすようになり、このNPO法人を知ったわけです。

www.shibuya-univ.net

 

そこで、9月から11月まで3回連続講義 ~私たちのSDGs~という講義をやっていました。

 

できればそこに参加したかったのですが、すでに満席で途中の回からの参加もできず。ということでしたので、大変残念だったのですが今回はあきらめました。

 

ただ、次々と面白そうな講義やイベントがあるようですので、これから積極的に参加をしていきたいと思います。

 

おそらく、人脈も広げることができそうな気がしています。

 

本当に簡単ですが、今日はここまで。

 

ありがとうございました。

 

 

酔っぱらうといつも思うこと

こんにちは。僕はお酒が大好きで酔っ払っている事が多いのですが、

 

酔っぱらうといつも思う事があります。それは、「正しいことをする勇気が大切。」

 

これは、なんでもそう。誰でもそう。国家レベルでもそうだけど、個人でも同じ。

 

そして一方で、勇気を出す前にその決断が誰かに与える影響を考えてあげる「思いやり」が必要なんだとも思う。

 

一歩踏み出せるかは、とても大切だけど、それによって誰かを傷つけてしまうかも知れない。

 

それは、全然知らない誰かかも知れないし、もしかしたらもっと身近な人、例えば自分の家族とか、なのかも知れない。

 

自分が正しいと考えていることは、ほかの人にとっては、間違えていることかも知れない。

 

でも自分が正しいと思うことを、頑張ってやってみるんだ!それが大切なんだと思います。

 

ま朝起きると忘れているかもなので、書いておきます。念のため。。。

 

僕なりの孔子

子曰く、
「吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑はず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳順(したが)ふ。
七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰(こ)えず」。

 

あまりにも有名な言葉ですが、僕もいつの間にか不惑の歳を超えてしまいました。そんな僕ですが、迷ってばかりです。

 

皆さんはどうですか?

 

いや、できる人はできるんだと思います。ただ、まだまだ!という人も多いのではないでしょうか。

 

今日、この言葉を書いたのは、僕が進んでいく道について、この言葉も僕の背中を押してくれるものだからです。

 

この言葉にある"歳"というのは、あまり重要ではなく、時間がかかっても良いから、良い人生、正しい道を歩みなさい。という主旨が大切なんだと思っています。

 

また、いきなり「俺は立つ!」というのはなかなか難しいし、順を追って成長していく必要があるということも諭しているのではないでしょうか。

 

また、孔子は73でこの世を去ったと言われています。これは当時では、すごく長寿です。おそらく今でいうと100歳くらいのイメージでしょう。

 

だから、「吾70にして、」というのは今で言うと「私は100歳になった時に、」と言うことですから、「私には先がなくなってきたが、、」と言う意味で使われている。

 

つまりこのお話は、 現代社会においては、もう少しゆっくりでも良いんです。

 

つまり、吾40にして立つ。でも全然いいのです。

 

ほら!まだまだこれからです。